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所感「クリーニング」か「悉皆」か 赤裸々投稿・長文注意

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先日、ある問い合わせのメールがありました。

「着物のクリーニングをしたいのですが、そちらはクリーニングの取次店の登録はありますか?」

「・・・ン?」最初はどういう意味か分からなかったが、調べてみるとクリーニング業界の

登録制度のことのよう。何でもクリーニング店の中には店舗を持たず、公民館等で加工を受付け、

後日、高額の請求をしてクレームになる事故があるのだとか。

 「・・・・・・」

つまり、ウチのことをクリーニング店と思ったらしい。

ま、確かに洗ってはいますが(和服のみです)。

 

「悉皆」という言葉をご存知でしょうか。

悉皆を広辞苑で調べると「みな、のこらず、ことごとく」の意で、これに「屋」が付くと、

「江戸時代、大阪で衣服の染色・染替しなどを請け負い、これを京都に送って調製させることを

業とした者。転じて、染物や洗張りをする店」と書いてあります。

かく言う当店も昭和44年より、京染店として悉皆業に携わってきました。

 

呉服の製造は、元来分業制です。織り上がった白生地を色無地に染める、柄に染める、繍箔加工する、

紋を入れる、湯のし・湯通しをする、洗い張りをする等、すべてが専業であり、専門の職人が行います。

 

悉皆屋は顧客の注文に合わせ、何が必要か、どこに出すかを割り振り、発注します。

言うならば、オーケストラの指揮者のように、いくつものパートを組み合わせ、

請け負ったニーズに最適な加工を選び、まとめる仕事です。

 

着物のクリーニング(丸洗い)・しみ抜きも、本来はそのパートのひとつでした。

ところがインターネットが通信の主役になり、情報の発信・受信がボーダーレスになると、

この分業制度が瓦解し始めます。

すなわち、作り手(専業先)とエンドユーザーが直に繋がることによる、流通構造の大変革です。

加工業者が悉皆業を飛び越え、一般消費者と直接取引することで、価格破壊が起きたのです。

かくして、悉皆屋の立ち位置は、価格を吊り上げる中間マージンの「主犯格」に仕立て上げられました。

 

確かにネットに載っている丸洗いの値段は(流通段階を飛び越えている以上に)、安いです。

以前、大阪の船場の業者で2.800円という金額に驚いたのですが、最近では1.980円なんてのも

見かけます。

 イチキュッパですよ!もう笑うしかありません。

いったいどんな洗い方してるのかと思いますが、基本的に丸洗いは有機溶剤を使って機械で洗うだけなので、

例えば安い溶剤で、繰り返し何度も使いまわすようなコストカットをすれば、不可能ではないようです。

ただ、仮に純度の高い高級な溶剤を使ったとしても、丸洗いだけでは、しみや汚れは落ちません。

 

しみ・汚れには様々なものがありますが、大別すると脂質系、蛋白系、水溶性の3つに分けられます。

このうち、有機溶剤で溶けるのは脂質だけで、しかもドライで回して落ちるのは、うっすらと表面に

付着している程度のもの。実際のしみはこれらの複合体なので、きれいになったように見えても、

ほとんど残ってしまいます。

 

この複合体の汚れの典型が、衿の汚れです。衿汚れは汗、皮脂、蛋白等がすべて重なっていて、

この汚れを落とすには、それぞれ違う処理が必要になります。

また、衿の汚れは放っておくと膠着し、時経変化によりヤケ・変色を引き起こします。

こうなってしまうと、漂白や染色補整を伴う「修整工芸」という技術が必要になり、

単なるしみ抜きだけでは対応できなくなってしまいます。

 

そしてそのことは、しみ抜き加工全般に言えます。実は今日、しみ抜きで受ける加工品の半数以上が

酸化した古じみで、そのほとんどが修整工芸が必要なものばかりです。

着ることがなくなり、タンスを開けることがなくなる。それがしみを悪化させるのです。

 

もちろん、料金は安いに越したことはありません。

ただ、金額に対する評価は相対的なものであり、個々の満足度により異なります。

ニッパーやイチキュッパーは別として、多くの着物専門店の設定価格帯が5.000円~8.000円台

であることから見ても、やはり値段の安さより技術の高さが重要視されていることは明らかです。

 

それでも、やはり消費者のニーズは変わってきています。

一言で言うと、「パーソナル」。個別化です。

 

「悉皆、厄介」という言葉があります。悉皆の仕事はそれほど多岐に亘ります。

着物を洗う、しみ抜きをする、湯通しする、寸法直しをする、裏地を取り替える、仕立て直しをする、

柄を変えたり、色を変えたり、羽織やコート、帯やバックや、草履や袋物にリメイクしたり・・・

着物を使って考えられる、あらゆるコトが仕事になります。

 

悉皆屋は消費者の「こうしたい」という要望を聞きます。

 そうですね~これはチョット難しいけれど、これなら出来るかな、これじゃどうですか?

そういうやり取りの中から「こうしたい」の幅を少しずつ広げ、利用方法や可能性を探ります。

ところが最近は、自分の「こうしたい」が出来ないと分かると、そこで止めてしまう。

幅を広げるところまでいきません。

 

例えば、この着物をしみ抜きして「きれいにしたい」という相談を受けたとします。

見るとしみ以外にも、全体にヤケや変色が進んでいる。

 あ~これはしみだけじゃなくてヤケもありますね、これだとお金かけてしみ抜きするよりも

色抜きして小紋柄に染めた方が「きれいになります」よ、と染替えを提案したとします。

最初はしみ抜きを考えていたので、染替えとなると当然迷います。

 

実はここからが、悉皆の仕事の始まりで、

迷う理由を聞きながら、その話の中から家族構成、

その着物がきれいになったとしたらどうしたかったのか、

予算は幾らぐらいなのかといった、その人のバックヤードを知ることにより、

あーならこうしたらどうですか、このほうがいいですよ、と、場合によっては、

その着物を手直しするよりも、もっと有益な提案が出来るかもしれないのです。

 

結果的にその着物は使わなかったとしても、このことから自分や自分の家族にとって、

着物がどういう位置づけなのか、必要かどうかも含めて、着物との係わりを知ることができる。

それも、広い意味で悉皆屋の仕事と思ってきました。

 

ところが最近は、

 いえ、このしみだけ取って下さい、ここの汚れはこのままでいいです。

 クリーニングをお願いに来たんで、染替えに来たんじゃありません。

 

はっきりと言う人もいます。

良かれと思った提案なのですが、意外にもあっさり否定されます。

 

何故こういう反応が起こるのか。

実はこの時点で、悉皆側と消費者のニーズには、大きなズレがあるのです。

 

消費者の要望は、しみ抜きして、着物をきれいにしたい、です。

なのでニーズは「きれいにしたい」で、ウォンツは「しみ抜き」です。

ところが悉皆側の視点で見ると、ニーズは「着物を生かす」で、ウォンツは「染替え」なのです。

しみ抜きではきれいにならないと判断したことで、ならば染替えて着物を生かそうと、

「きれいにする」から「生かす」にニーズが変わったのです。

これは、着物を着物として最後まで生かしたいと思う、職人としての判断です。

 

視点の違いがニーズを変えたわけです。

こっちの希望と違うのに、余計な提案までされた。

そのように感じたのであれば、無理からぬ反応かもしれません。

 

ではこの認識のズレはどこからくるのか。

これはもう、きものを取り巻く時流の変化に他なりません。

きものに対する世界観の違いです。

 

一枚のきものを、何度も仕立て直し繰り返し着て、

最後はハタキにしてまで使い尽くす。

そのようなきものの姿を、現代の生活の中で想像するのは難しいです。

 

先日、しみ抜きの依頼を受けた時のこと。

その着物はひと目で古いと判るもので、たくさんあるしみの一つに糸印が付けてあり、

 

 義姉から借りたんですけど、しみ付けちゃって。取れますか?

そうですね、取れると思いますが、他の汚れはいいんですか?ここなんかもっと酷いけど。

 そのしみだけでいいです。

衿はどうします?衿もずいぶん汚れてますが。

 じゃあ、衿もお願いします。

汚れ方酷いんで、ちょっと費用かかるかもしれません。

 1回着ただけなんですけど。

今回だけの汚れじゃないですね、古いものですよ。

ヤケもあるし、手をかけないときれいにならないです。

 

すると、おもむろにケータイを取り出し、しばし誰か(義姉?)と話すと、

 

じゃあ、今回着た分の汚れだけ取ってください。

 

「・・・・・分かりました」

 

もちろん、当店は専門店ですから、そのようなご要望にもお答えできます。

ちなみに、当店では洗い加工を受ける場合、その着物の汚れ具合を確認した上で、

 ①とにかくきれいにする加工

 ②希望するところだけの加工

 ③予算の範囲内での加工

の、3つの選択肢をご用意しています。 

 

実はこのような選択肢は、以前では考えられませんでした。

何故なら、職人の仕事は技の研鑽です。

その仕事がしみ抜きであるならば、しみを抜く作業は真剣勝負です。

なので、意図的に汚れを残すという仕事は逆にしづらく、

また消費者の「そこまで望まない」という意識も、なかなか理解し難いのです。

特に③については、ややもすれば己の仕事の値踏みにも繋がるので、まずありえません。

予算内でとか、見積り出して、なんて言ったら、

 やってみなけりゃあ分からあねぇよぅ、スットコドッコイ!

と、一蹴です。

そのため、消費者のニーズと、職人の(言わば)原理主義を、同じベクトルに向かわせるのも、

悉皆屋の大切な仕事なのです。

 

今日の消費者のニーズとウォンツは想像以上に多様化しています。

コスパや技術はもちろん、いかに個々の価値観に合った満足感を付加させられるか。

そのことがとても重要になってくると思います。

 

そして、きものと係わるシチュエーションも、より人それぞれになるでしょう。

その人にとってのきもの、その係わり方に合わせた提案でなければ、提案になりません。

そのためには、たくさんの中から削いでいって、

最終的にその人に合うものを、消去法で探さなければなりません。

 

きものを知り尽くした、きもの専門店の悉皆屋だからこそ、その任が負えるのではないか、

と、

最近、密かに思うのであります。

 

「クリーニングか、悉皆か」ではなく、

 「悉皆なんです!」

 「絶対に!」

 

なんて、エラそうにね。

 

おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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