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今月の染・織

丹波布

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                 丹波布は綿織物である。

                 木綿の歴史は古く、5000年前に中国で生まれた絹よりも、

                 その発生は更に2000年ほど前のインダス文明に遡る。

                 日本には奈良時代、シルクロードを経て中国より伝播した。

 

                 日本の綿織物の産地は、そのほとんどが西日本である。

                 それは日本に入ってきた綿種が、西日本(瀬戸内海以西)の気候に合っていたからと

                 言われている。東日本や北日本に紬の産地が多いことと対照的である。

                 綿絣で最初に織られたのは久留米絣であった。その影響を受け、薩摩木綿、

                 弓浜絣、出雲絣、伊予絣、備後絣など、西日本各地に様々な綿織物が興った。

                 しかし、どの綿布も基本的な生産工程は同じであり、またどれもが藍絣である。

                 その中で、唯一藍染でない綿織物が丹波布だ。

 

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                  もちろん、丹波布にも藍染はある。しかし丹波布の地色は圧倒的に茶系が多い。

                  当然使われる色は、すべて天然の草木。ちなみに、茶色は栗の皮。

                  そう、丹波は栗の名産地である。

                  丹波布に使われる色のベースは藍、茶、緑の3色。

                  藍、栗の皮、やまもも、ヤシャブシなどの草木を使い、

                  その濃淡の糸で縞柄や格子柄を織りなす。

 

                  写真の丹波布は八寸帯で、これには藍、栗の皮、ヤシャブシが使われており、

                  実際には緑の色は藍に近く、藍は黒に近い。おそらくこの黒がヤシャブシなのだろう。

                  経糸に5センチごとに藍と緑の糸を置き、その間に茶の糸を通す。

                  緯糸は8センチごとに藍を打ち、市松格子を形作る。

                  その藍の糸に沿うように、白い糸が織り込まれている。

                  これは屑繭を水の中で手引きした絹糸で、「つまみ糸」と呼ばれる丹波布独特のもの。

                  帯地ということもあるが、経糸も緯糸も太さがバラバラ。

                  ざっくりとした風合いは野趣に富んでいる。そのくせ、茶と藍と深緑が織りなす

                  シンプルなデザインは、モダンですらある。 

 

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                  丹波布とは元々「佐治木綿」と呼ばれるもので、丹波国佐治村(兵庫県氷上郡青垣町)で

                  織られていた地機の綿織物である。江戸時代に盛隆を見たが、明治の末期に消滅。

                  昭和初期に京都の朝市で端布が偶然発見され、戦後になり復元、復興された。

                  丹波布とは復興に際して名付けた名称である。

 

                  天然染料で染め、手紡ぎの糸を使い、手機で織られる丹波布は、

                  現在国指定の無形文化財に記録されている。

                  学術的価値が高いもの、大量生産が不可能なものに認定される文化財だが、

                  伝承的に受け継がれるものは、考えれば学術でもなんでもなく、

                  それは人が生きるため、当たり前のように脈々と身近で行われてきた営みなのだ。

                  人の世の、移ろいの早さと落差を、改めて感じざる負えない。

                  いつの日か、靴を履くことすら文化財に指定される日が、来るかもしれない。

 

 

 

 

 

牛首紬

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「白山の麓で、牛首と呼ばれる、独特な紬が織られている。

糸に空気を含ませる独自な糸の処理で、綸子のような柔らかな着心地でありながら、

「釘抜き紬」の別名が残るほどに、強い織物である・・・」

 

直木賞作家・高橋治の小説「紺青の鈴」の一節です。

九谷の窯元の娘の、師弟の挟間で揺らぐ恋心を描いた小説ですが、

その中に、ヒロインが逢瀬のために、鰹縞の牛首を、衣擦れの音をさせながら袖を通すくだりがあります。

貧困な想像力ながら、艶の中にも凛とした(であろう)姿を、思い浮かべたものです。

高橋治は、他にも「風の盆恋歌」「さまよう霧の恋歌」などの小説でも、文中に牛首紬を織り交ぜ、

牛首紬の名を広めたと言われています。

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牛首紬は、今でこそ知られるようになりましたが、

20年前は、余程きものが好きな人でも、その名を知る人は少なかったと思います。

今から15年前、初めて白峰村に訪れたとき、小説のイメージとオーバーラップしてか、

その「牛首」という名に、県境の霧に霞む峠のトンネルに、そして、急峻な斜面に垣間見える、落人伝説の村に、

言い知れぬロマンを感じたのを覚えています。

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白峰村全景

 

白峰村(現在は白山市白峰)は、手取湖に沿って点在する細長い集落です。

昭和49年の手取川ダムの建設により、生産拠点が大きく変わり、

現在は村内に二ヶ所の工房があります。

白山工房はその一つ。ここは生産工程がそのまま見学コースになっており、

希望者は自由に見学できる、ユニークな工房です。

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白山工房では糸づくりから染色・機織りまで、牛首紬の全工程が一貫して行われています。

一般の工房では、紬の作製は染色から始まり、製経、機織となり、糸は糸屋から仕入れるの普通ですが、

玉繭を使う牛首紬は、製糸工程から始まります。

そしてこの「糸作り」が、牛首では重要な作業となります。

Apr26276.JPG 工房では、この繭から糸を引く「のべ引き」の作業が見られます。

「のべ引き」は、玉繭から糸を引く重要な作業で、鍋に煮た数十個の繭玉から素手で糸を引き、

一本の糸に合わせます。糸の太さを一定にするのは経験と勘だけで、非常に高度な技術です。

どのように糸を絡めてるのか、間近で見ても分かりません。

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しかし、実際に見ていて、それ以上に感じることは、作業の労苦です。

この「のべ引き」の作業は、想像以上につらい。

指で絡めた糸を一本に束ね、のべ枠という大きな糸車に糸を渡すのですが、

これを足で漕いで回す。その間、ずっと体をひねったような体勢が続きます。

作業は素手で行うので、ヤケドは常にあるという。慢性的な肩こり、腰痛、ヤケドに手荒れ。

そして一番きついのが、繭を煮る臭い。最初のうちは 、食事もできないと言います。

体がキツく、ヤケドが危険で、臭いがクサイ、典型的な3K職種なのです。

 

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                上は染めの牛首紬。 牛首は染下地用の白生地が生産量の九割を超える。

 

牛首紬の生産業者は、現在2社のみ。

大正期をピークに減り続け、終戦後にはたった1軒にまで落ち込みました。

15.000反を超えていた生産反数も、現在は5.000反を下回ります。

しかも、その90%以上が染下地用で、先染めの物は、1割も流通していません。

牛首に必須の玉繭も国内産だけでは足りず、一部、国外産を使用しているのが現状です。

そして白峰村では、今はもう養蚕は行われていません。

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     牛首紬の白生地。牛首の白生地は加藤機業場のものが若干流通しているが、数は少ない。上は珍しい白山工房のもの。

 

牛首紬に拘らず、伝統織物は一様に後継者問題を抱えています。

就学年限の長期化により、修行を伴う徒弟制度は影を潜め、

労働環境の変化の中で、低収入で手間のかかる伝統産業は敬遠されがちです。

特に牛首紬は、生産の担い手が女性であるがゆえ、

その労働環境は、他の織物に比べても非常に厳しいものです。

にも係わらず、牛首紬を担う人々には、一様に、先人の教えを伝えていこうとする

強い思いが流れています。

その理由は、DNAにあります。

 

牛首紬を守り、作り続ける人たち、彼女たちは皆、白峰の出身者です。

白峰で生まれ、育ち、白峰で 生きている人たちばかりなのです。

面白いことに、彼女たちは牛首紬に携わりながら、伝統工芸品を作っているという意識はなく、

歌を歌ったり話をしながら、世間の普通の仕事と何ら変わらぬ感覚で、従事しているといいます。

そこには時代を超えて、脈々と受け継がれる何かが、あるのかもしれません。

 

悠遠の昔、落武者の妻女が村人に伝えたという、牛首紬。

糸に紡がれ、機に織りなし、伝説の布は、

先人の思いを繋ぎ、今日も 綴られています。

人間国宝・与那嶺貞「読谷山花織」

毎月、今月の商品ということで、なにか1品ピックアップしたいと思います。

決して『お勧め』ではありません。高額品もあれば安物もあります。

店主の独断と偏見で、これは、と思った1品を取り上げます。

ですから小物の場合もあります。

先ずはこちらから。

 

読谷山(よみたんざん)花織

これは故・与那嶺貞さんの「読谷山(よみたんざん)花織」の名古屋帯です。

与那嶺さんは存亡の危機にあった沖縄の伝統織物の読谷山花織の復元に

尽力し、1999年に人間国宝に認定されましたが、残念ながらその4年後に

亡くなられました。90歳を過ぎてからの認定は、人間国宝としては最高齢だ

ったそうです。

読谷山(よみたんざん)花織

 

読谷山花織(沖縄読み・ゆんたんざはなゆい)は琉球王朝期に交易していた

南方諸国の影響を受け、読谷村で独自に発達した織物で、村外に知られる

機会が少なく、明治の頃にはすでに途絶えていました。

当然、技法を知っている人は誰もおらず、復元は残っていた織布をほぐして

織りを確認し一つ一つ再現していく、血のにじむような苦労だったようです。

 読谷山(よみたんざん)花織  読谷山(よみたんざん)花織  読谷山(よみたんざん)花織

与那嶺さんの優れた点は、ただ単に技法を復元しただけでなく、素材を木綿から

絹に変更し、地機を高機にすることにより、より生産性、芸術性を高めたことです。

「過去にだけこだわっていると、伝統文化は伝承できないのです。」

その可憐な花柄に、秘めたる想いを織り込んだ読谷山花織。

与那嶺さんの尽力により、読谷の人々の祈りは

今日も受け継がれています。