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2023年3月

きもの DE 短歌 その28

黒留袖 またの呼び名は祝儀着で 江戸褄模様に裾模様

黒留袖は五つ紋の裾のみ模様のある、

祝儀用(結婚式)の礼装着です。

 

留袖は別名「江戸褄」とも呼ばれます

が、それは模様付けに由来します。

 

そもそも「褄」とは何かと言うと、

衿下から裾にかけての部分のことで、

そこに描かれた模様を「裾模様」と言

いました。

 

実は留袖が今日の柄付けになる迄には

様々な裾模様が存在します。

 

十二単の下着だった小袖から発した

着物は、時代と共にその形と模様を

変えて行ったのです。

 

以下、その変遷を「和装組曲♪」さん

より引用させていただきました。

ありがとうございました(^^♪)。

 

 

「肩裾模様」と「片身替わり」

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右図の「肩裾模様」は室町から桃山時

代にかけて流行した模様づけ。

肩と裾に模様を配し他を余白とした。

能装束にこの形が残っている。

 

左の「片身替わり」は桃山時代のもの

で、背縫いを挟み左右模様が違う。

元々は下級武士が二枚の着物を一枚に

やりくりしたものだったとか!

 

 

「江戸褄模様」

 

2023330143013.jpg

 

江戸後期遊郭や町人女性に流行した。

裾引きの着方なので柄が左右対称で、

今の留袖の原型とも言うべき柄付け。

裾引きと言うと大奥のイメージだが

実際には一般庶民も裾引きだった。

 

 

「裏勝り」

 

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前から見て裾が開いた状態。柄が付く

のは裏側で表は無地。完全に引きづり

で着たときに柄がきれいに映るように

作られたもので、まさに裏が勝る。

江戸時代後期のもの。

 

 

「島原褄」

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同じく江戸時代の後期に、京都の遊里

島原が発祥とされる模様付け。柄位置

が高く、衿付から褄を通し裾まで伸び

ている。引きづりならではの模様だが

在は残っていない。

 

 

「裾模様」

 

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18世紀半ばから、腰から下に模様を

配する「腰模様」が現れ、その後現在

に通じる「裾模様」に変化してゆく。

右側の図は左右対称ではないが、時代

はまだ引きづりだったので、非対称の

柄は美意識を反映したもの。

 

 

留袖に限らず、着物の柄付けはお引き

づりという着方に合わせて始まったこ

とが、このことから良く分かります。

 

因みにおはしょりを取る着方になった

のは明治以降。時代の変革とともに

着物に求める機能も変わっていったの

でしょう。

と言うか、明治の頃まで日常的にお引

きづりで生活していた事が驚きです。

 

 

ところで、対丈だった小袖から何故不

便なほど着物の丈は長くなったのでし

ょう。そして変わることなくどうして

受け継がれて来たのでしょうか。

 

幕府の衣服統制が原因とか、掛布団の

代わりだったとか諸説あるのですが、

断定出来る理由は分かっていません。

 

しかしそこには奢侈禁止令から江戸

紋が生まれたように、不便である筈

形をあるがまま受け入れ、それすら

しく昇華させる、江戸の人々の知恵

矜持と美意識が、ひしひしと伝わって

来るような気がします